2024-2026の知的ラストレクチャー選集
2024-2026の知的ラストレクチャー選集
Section titled “2024-2026の知的ラストレクチャー選集”「有名な教授の最終講義」を集めるなら、ノーベル賞受賞者や古典的な大御所だけを並べるやり方もある。 ただ、2025-2026年の感覚で読むなら、それだけでは少し古い。
今おもしろいのは、どの講義が現代の断層線に触れているか です。 ここでいう断層線とは、たとえば次のようなものです。
- 人間中心設計から、
more-than-humanやポストヒューマンへ - 文化の解釈学から、LLM を含む計算文化論へ
- きれいに整ったAI美学から、粗さや痕跡を残す反AI美学へ
- HCI の機能主義から、思弁的設計や詩的インタフェースへ
このページでは、そうした軸に接続する講義を、まず 厳密に farewell / valedictory / final lecture と明記されたもの から選び、そのあとに 最終講義そのものではないが周辺に置くと地図が見える講演 を加えます。
2024-2026 で追う価値が高いのは、いまのところ次の6本です。
| 区分 | 講義 | なぜ今読むか |
|---|---|---|
| 最終講義 | Susan Stepney, Life as a Cyber-Bio-Physical System | ALife、複雑系、非標準計算、life-as-it-could-be をつなぐ |
| 最終講義 | Monica Juneja, farewell lecture | グローバル美術史、transcultural art history、heritage、ecology を束ねる |
| 最終講義 | Takehiko Kariya, A ‘Class’-Less Society Japan? | 階級概念の不在を通じて、日本社会の知識編成を問う |
| 最終講義 | Hugh Whittaker, Technology Innovation, Entrepreneurship and Governance | 1980年代マイクロエレクトロニクスから 2020年代AIまでを通史化する |
| 周辺講演 | Hiroshi Ishii, Shaping a Mountain Range of Evolving Visions | HCI を usability 中心から詩的・思弁的方向へ押し広げる |
| 周辺講演 | Bill Hart-Davidson, Generative AI, Writing, and the Near Future of Writing Technologies | 計算人文学・ライティング研究・生成AIの接続点を見るのに良い |
1. Susan Stepney
Section titled “1. Susan Stepney”2024年10月2日、University of York の valedictory lecture。 講義タイトルは “Life as a Cyber-Bio-Physical System”。
大学公式の案内では、Stepney は「生命を理解し、そして life as it could be を工学するには、生物学的・計算的・物理的な性質を統合して考える必要がある」と述べています。
さらに、mere machines から computational machines、そして living machines へどう移るかが主題として置かれています。
これは、人工生命や複雑系を単なるシミュレーションとしてでなく、生命・計算・物質をまたぐ設計問題 として捉える講義です。 ポストヒューマン設計や bio-digital interface の議論に接続しやすい。
- ALife と non-standard computing を、退官時点でもなお前向きな設計問題として語っている
life as it could beという表現が、いまの speculative design や posthuman design と相性がよい- 「生命的なものをどう設計するか」が、HCI ではなく complex systems 側から語られている
- University of York: Valedictory lecture - Professor Susan Stepney
- University of York events 2024: Life as a Cyber-Bio-Physical System
2. Monica Juneja
Section titled “2. Monica Juneja”2024年1月31日、Heidelberg University における farewell lecture。 これは Prof. Dr. Monica Juneja の退職に合わせた二日間イベントの初日に行われています。
面白いのは、講義単体だけでなく、その翌日のシンポジウムが “Future Directions for Transcultural Art History” と明示されていることです。 大学公式案内では、Juneja の仕事を、heritage and museum studies、materiality and artisanal epistemologies、ecology and gender studies と対話させる構成だと書かれています。
つまりこれは、単なる美術史家の回顧ではなく、transcultural art history の今後をどう組み替えるか という問いに近い。
- アート史を national style の歴史から、transcultural な流通と接触の歴史に組み替える流れが見える
heritagematerialityecologygenderが一つの講義圏でつながっている- 反AI美学を直接扱うわけではないが、アルゴリズム以前の「文化形式の越境性」を考える基盤になる
3. Takehiko Kariya
Section titled “3. Takehiko Kariya”2024年5月22日、Oxford の Nissan Institute で行われた valedictory lecture。 講義タイトルは “A ‘Class’-Less Society Japan? How is Inequality Interpreted Without the Concept of Class?”
大学公式案内によれば、Kariya は、日本の社会学者が英語では class を使うのに、日本語では 階級 を避けて 階層 を使うことに着目し、その概念的消失が格差社会の理解にどんな影響を与えたかを問います。
これは経済格差の講義である以上に、概念装置の有無が社会認識をどう制約するか をめぐる講義です。
あなたが挙げていた Cultural Collapse や計算文化論の関心とも、かなり相性がいい。
- 文化や社会を「何の語彙で記述するか」が現実理解を決めるという、知識社会学の問題が前面に出ている
- 日本研究に閉じず、カテゴリー消失と不平等認識の関係を扱っている
- 厚い記述と形式的分析のあいだにある「語彙の政治」を考えさせる
- Nissan Institute: Valedictory Lecture – A ‘Class’-Less Society Japan?
- Oxford DPIR: Valedictory Lecture – A ‘Class’-Less Society Japan?
- 録画案内
4. Hugh Whittaker
Section titled “4. Hugh Whittaker”2026年2月26日、Oxford での valedictory lecture。 講義タイトルは “Technology Innovation, Entrepreneurship and Governance: A Retrospective of 40 years”。
公式案内では、1980年代の microelectronics から 2020年代の AI まで、技術革新が雇用と経済をどう再編したかを振り返る構成だと説明されています。 しかも技術だけでなく、financialization と neoliberalism も同時に論じる。
これは「AI が社会を変える」という抽象論ではなく、技術・産業・制度・統治の四点セット で40年を見る講義です。
- AI を isolated technology ではなく、雇用制度や統治の歴史に埋め込んで読むことができる
- 2020年代のAIを、1980年代以来の産業技術史の連続として見直せる
innovationの話を、より政治経済的な語彙に引き戻してくれる
- Oxford DPIR: Valedictory Lecture: Technology Innovation, Entrepreneurship and Governance
- Nissan Institute: Hugh Whittaker Valedictory Lecture
5. 周辺に置きたい講演: Hiroshi Ishii
Section titled “5. 周辺に置きたい講演: Hiroshi Ishii”これは最終講義ではありません。 ただし、HCI と design をいまの断層線から読むなら外しにくい。
2024年10月14日の UIST 2024 keynote、“Shaping a Mountain Range of Evolving Visions” では、石井裕が Tangible Bits から Radical Atoms、さらに TeleAbsence へと至る30年の研究を振り返っています。
公式ページには、主流HCIが user needs practical applications usability に集中しがちな一方で、自分たちはそこを超え、art, design, science, technology を横断しながら「absence の presence」を探るとあります。
- HCI の中心語彙を usability から poetry にずらす実践例になっている
- speculative design と interface research を分けずに扱っている
- 反AI美学とまでは言わないが、
generative representationに寄らない記憶と不在の設計が示されている
- MIT Media Lab: UIST 2024 Keynote by Prof. Hiroshi Ishii
- MIT Media Lab: Professor Hiroshi Ishii gives keynote at XPANSE 2024
6. 周辺に置きたい講演: Bill Hart-Davidson
Section titled “6. 周辺に置きたい講演: Bill Hart-Davidson”これも最終講義ではありません。 ただし、デジタル人文学、ライティング研究、生成AIの交点として重要です。
2024年3月22日、Michigan State University の Global Digital Humanities Symposium で、Bill Hart-Davidson は “Mixing and Mastering Genre Signals: Generative AI, Writing, and the Near Future of Writing Technologies” という基調講演を行いました。
公式案内では、この年のシンポジウム自体が ethical Artificial Intelligence を大きなテーマにしていたと説明されています。
また、MSU の追悼記事によれば、Hart-Davidson はその翌月の 2024年4月23日に急逝しており、この基調講演は結果として最晩年の重要講演の一つになりました。 ここは一次情報からの推論なので、その点は明示しておきます。
- LLM を「書くことの終わり」ではなく、writing technologies の再編として捉えている
- DH と rhetoric / composition を接続する視点がある
- AI 利用の倫理、実践、学習の再設計を同時に考えられる
- MSU WRAC: Global Digital Humanities Symposium 2024 registration article
- MSU WRAC: Associate Dean Remembered for Personal and Professional Impact at MSU and Beyond
この選集をどう読むか
Section titled “この選集をどう読むか”このページのポイントは、「偉い人の名講義集」を作ることではない。 むしろ、いま何が組み替わっているのかを、退官や節目の講義から逆算して読むこと にあります。
並べてみると、次の構図が見えます。
- Stepney は、生命・計算・物質の境界を書き換える
- Juneja は、文化と芸術の境界を transcultural に組み替える
- Kariya は、社会記述の概念装置そのものを問い直す
- Whittaker は、AI を技術史だけでなく制度史に埋め戻す
- Ishii は、HCI を実用性から詩性へ押し広げる
- Hart-Davidson は、書くことと学ぶことの形式が LLM でどう変わるかを問う
この意味で、いちばん面白いのは「最終講義」という形式そのものが、キャリアの総括 であると同時に、次の時代の概念装置の引き渡し にもなっている点だと思う。
まだ曖昧な点
Section titled “まだ曖昧な点”- このページは 2024-2026 の公開イベント告知・報告を中心に整理しており、動画全編や完全な文字起こしを確認できていない講義が多い
- Monica Juneja の項目は、farewell lecture 本体よりも、退職イベント全体の設計から意義を読んでいる
- Bill Hart-Davidson の項目は「最終講義」ではなく、最晩年の重要講演として周辺に配置している
そのため、このページの status は growing にしています。
今後、各講義の録画や transcript が確認できれば、要約部分はかなり厚くできるはずです。